延喜式内社を巡る(その1)
縁あって「延喜式内社」などの古社を中心に全国の神社や鎮守の杜を訪ねていることは、既に述べましたが、「延喜式内社」ということについて少し書いておきます。
通称である「延喜式内社」もしくは「式内社」とは、平安時代中期に編纂された法典の一つである『延喜式』に規定されたものです。
「式」は律令制度において、「格」とともに、「律令」を補うもので、「格」が律令の修正や補足の法令であるのに対して、「式」は「律令」の施行細則に当たるものです。
「格式」として整理され、平安時代から三回にわたって編纂され、「三代格式」として、「弘仁格式」「貞観格式」「延喜格式」があります。編纂された「格式」のうち、唯一、全五十巻が現存しているのが『延喜式』です。
この現存する『延喜式』のうち、九巻、十巻に相当するものが「神名式」で、この二巻を合わせて『延喜式』神名帳や「延喜式神名帳」と称されます。
『延喜式』は延喜五年(905)から編纂され、延長五年(927)に完成し、康保四年(967)に施行されたもので、その「神名帳」には、当時の朝廷が幣帛を奉献した当時の官社の神名が記されています。「神名」とはいえ、事実上は神社名が書かれていますが、このことは後日また付記します。
『延喜式』神名帳に収載された当時の官社は2,861社で、そこに坐す神の柱数は「座」で表現されますが、3,132座あります。つまり、1社で複数の神々をお祀りしたお社があったということです。
時代の流れを経て、この2,861社については、現在、その存在が不明となったお社がある反面、多様な事情によって遷座を余儀なくされ、その結果、複数のお社がその後継としての延喜式内社であることを由緒に残すなど、差し引きの結果、現在4,800社前後が延喜式内社もしくはそれに相当すると考えられる神社として挙げられることになります。この中には遷座後に残された旧社地が奥宮などとして残されている場合もあり、それも1社として計算した結果です。