原初的な信仰と鎮守の森

古来、わが国では、山や森は神々の坐す場所として崇められてきました。上代には平野を含めて広大な森が広がり、神々の領域として、採集狩猟に入る際もしきたりに従って棄損しないように気遣ったはずです。白川静先生の『字統』では、「山」は「古代の自然信仰の中心となり」とし、「森」は「古代には大樹林が各所にあり、人跡未踏のところが多く、そこには神が住み、神秘があった。」としています。
この山や森を特別な地とする概念は、現在でも東北地方のマタギやアイヌの人々の習俗、更には南西諸島の島々の信仰にも息づいているように思えます。
一万年以上にも亘り定常的な暮らしが続いたとされる縄文時代が再評価されています。考古学の進展により、稲作は弥生時代からとの説に対し、我々が主食とする温帯ジャポニカ種は縄文後期の凡そ三千五百年前、近縁の熱帯ジャポニカ種に至っては凡そ六千年前の遺跡から発見されているようです。縄文前期から中期にかけての稲は麦、粟などとの混作による陸稲とされますが、やがて水田耕作が計画的に行われるようになります。
稲を中心とした農業が広がり、棚田を作る山や平野の森が伐り開かれていく中で、特に霊性の高い場所は引き続き大切な場として残されたと思われます。花見と言えば、遊山を思い浮かべますが、その庶民化は江戸期以降のもので、そもそもの淵源は、神々の坐す山に咲く神々の験とされる桜の枝を持ち帰り、田の端にかざし、豊作を願い予祝したものと言われます。恐る恐る神々の山に入り、桜の一枝を持ち帰ったのでしょう。
やがて信仰の様式化とともにこのような山や神々を迎える場が鎮守の森という形になったのではないかと考えます。
神社には社殿があるというのが社会的な通念です。しかし、歴史を遡ると、元は常設の社殿はほとんどなく、大樹や磐座など神々が降臨される神籬を中心に祭礼に際して仮設の場を設けて神々をお祀りしたことが窺えます。

 

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