一茶記念館講座で賀来宏和が講演しました。
令和6年6月15日(土)、小林一茶のふるさと信濃町の「一茶記念館」にて、令和6年度第2回一茶記念館講座が開催され、「一茶に見る江戸の園芸文化と自然に照応する当時の日本人」と題し、賀来宏和がお話ししました。
現在の長野県上水内郡信濃町(柏原宿)は、江戸時代の三大俳人(当時は「俳諧師」)の一人とされる小林一茶のふるさとです。
江戸時代、園芸は、奇品と高度な栽培技術、観賞作法にこだわる数寄者の園芸や武士の精神修養を目的とした技芸、殖産としての園芸、そして一層に行楽化した庶民園芸がそれぞれ高度に発達しました。
昨年上梓した『一茶繚乱~俳人 小林一茶と江戸の園芸文化~』にて論考を進めたように、庶民派とも言われる俳諧師小林一茶が残した句には、様々な植物を題材に、こうした庶民の園芸が鮮やかに描かれています。また、一茶がふるさとで詠んだ発句には、一茶が柏原で「撫子」や「菊」を植え、接ぎ木や挿し木もした様子が詠まれており、江戸時代の園芸嗜好が地方の庶民にも広がっていたこともうかがえます。
様々な植物を詠んだ一茶ですが、その中でも今回は、一茶ととりわけ縁の深い「菊」を取り上げ、参加者の皆様と、その園芸文化史を概観するとともに、一茶の「菊」の発句を鑑賞しました。
信州長沼に、一茶門人で医者の佐藤魚淵という人がおりました。魚淵は園芸愛好家で「菊」「牡丹」「蘭」などを収集し、一茶の発句には、「菊」の時期には友人を招いて「菊会」を開催した様子が生き生きと描かれており、一茶のふるさとでの講演である今回は、特にこのあたりも詳しくお話しました。
さらに、幕末に日本を訪れた外国人が残した旅行記などを取り上げ、彼らが、江戸の園芸を高く評価し、自然と照応する日本人の姿に感動していたこともご紹介しました。
地元信濃町にとどまらず、近隣から多くの一茶愛好者がお集まりになり、熱心に耳を傾けていただきました。ご参加くださった皆様には、心より御礼申し上げます。
「一茶記念館」の位置する小丸山には一茶をはじめとする小林家の墓所があり、明治43年に一茶を慕う地元の人々によって建立された「俳諧寺」と呼ばれるお堂があります。
因みに、一茶自身も、文化14年9月25日に、この小丸山に「菊」を植えています。(『七番日記』文化14年9月25日「小丸山菊植」)
小林家の墓所では、まず一茶翁の墓前で、遅ればせながら、昨年の『一茶繚乱』上梓のご報告と御礼を申し上げ、一茶が文政10年にこの世を去った旧宅の土蔵などを見学、有意義かつ感慨深い旅となりました。
【講座概要】
令和6年度 第2回一茶記念館講座「一茶に見る江戸の園芸文化と自然に照応する当時の日本人」
講 師:賀来 宏和
日 時:6月15日(土) 14:00~15:30
会 場:一茶記念館 2階研修室
参加費:一茶記念館入館料(一般500円)で聴講可
申込み:不要
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