一般社団法人日本花き生産協会鉢物部会の令和5年度研修会で賀来宏和が講演しました

一般社団法人日本花き生産協会は、昭和27年に関東・東海を中心とした花の生産者で発足した「日本暖地花き園芸協会」を母体とし、昭和38年に農林省の認可を受けた公益法人としてスタート、平成25年4月1日に一般社団法人となりました。
60年前の法人発足当時は、農業の中心課題は食糧生産で花への関心はまだ低い状況でしたが、昭和40年代の高度経済成長に伴う国民生活の向上により、「生活を楽しむ」時代が到来、特に、1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」以降、国民の花に対する関心度は急速に高まりました。
本協会は、都道府県の生産者団体が集まった全国団体である本協会では、輪ぎく・スプレーマム・ばら・カーネーション・鉢物・球根・切花・洋らんの7部会を設け、生産者相互の研修の場を設けるなど、花き生産者の技術向上と経営安定のための研鑽に努めるほか、近年著しい花き消費の減少傾向に対し、マーケティングによる国内産花きの消費拡大対策等についても積極的な活動を展開しています。

講演では、2027年横浜で開催予定の国際園芸博覧会のご紹介とともに、90年の「国際花と緑の博覧会(花の万博)」をはじめ、わが国で過去に開催された国際園芸博覧会をおさらいした後、限られた時間でしたので、江戸期からスタートし、わが国の園芸文化の歴史を概観しました。
当時の世界で最高水準にあった江戸期の園芸文化の特筆すべき点は、花見文化を含めた園芸文化の庶民への広がりです。江戸期を代表する俳人・小林一茶の句は、その様相を見事に表現していることを、一茶が詠んだ桜・菊の発句の数々を通じて、参加者の皆様に体感していただきました。
講演の締め括りには、幕末にわが国を訪れた4人の外国人、ラザフォード・オールコック(初代英国領事)、エメェ・アンベール(スイス遣日使節団団長)、ハインリッヒ・シュリーマン(考古学者)、ロバート・フォーチュン(英国王立園芸協会から派遣された園芸家)を取り上げ、彼らが捉えた当時のわが国の園芸の姿をご紹介しました。
後にトロイアの遺跡を発掘した考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、その著作の中で、次のように述べています。「道を歩きながら日本人の家庭生活のしくみを細かく観察することができる。家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。」と。これは幕末の横浜の景。

画像は24日~28日にサンシャインシティで開催された「第72回関東東海花の展覧会」の様子。
多様な花々、生産者の皆さんの技は素晴らしい。花は人としてもつべきたしなみであり、幕末に外国人を感嘆させた、日本人が世界に誇るべき文化です。

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